1971年イギリス、アメリカ合衆国製作のスタンリー・キューブリック監督作です。
この映画はいわくつきで、あまりの映像の悪趣味なところが、私の高校時代に観たとき作家とその妻を襲うところが、具合悪くなってなんでこんなビデオ借りてきたんだろうと全部を観ないでビデオ屋に返したものです。それも雨に唄えばの音楽を使っているところが趣味が悪趣味すぎて考えさせられます。
昔、誰かがこの映画を観て人の自我が悪であるのなら、その悪というものを取り除いてしまえばその人の自我がなくなってしまうのでよくない、と言っていましたが、昔の途中までしか観なかった私なら、悪を善良にして何が悪い、と思っていましたが今の私は善良になるには自分でそれを選択して、なおかつ昔の悪行に真摯に向き合わなければいけない、と思いました。
この映画の主人公の本質が悪であるというのは好きではありませんが、だからと言ってこの治療方法はいただけません。
暴力や性思考に吐き気をもよおすのが自分で考えてのことではなく、無理やり条件反射になるものではないはずだからです。
暴力だって、正当防衛になら使うでしょうし、性だって、その使い方が正しければ愛を感じるものだからです。
高校時代に観たような、ショッキングな感じはあの時ほど感じず、むしろ映画の全体像を観れたので、今回観れてよかったと思います。
それにしても、この映画を無条件に賛美する人が多いのにはいただけません。
この映画の悪趣味なところはあくまでもこの映画は賛美するのではなく、批評をしなければいけないものとしてシニカルに観る必要があるからです。